編集長ハルの気まぐれ日記

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レバラン雑感C
サンパの涙

サンパ―ゴミという意味で、ゴミ集配の仕事およびそれらに従事している人々を言う。けっしてその人のことをゴミと呼んで、バカにしているのではない。だから「サンパには、いくら渡せばいいの?」といえば、「ゴミ集配のおじさんには、いくら渡せばいいの?」ということになる。「あのゴミ野郎にいくら渡せばいいの?」と訳してはいけない。

我が家にも毎日のごとくゴミ集配の人々がやってくる。日本のように、ゴミ集配のトラックがやってきて、てきぱきと仕事をするようなところもあるが、我が家は一軒家ということもあり、やってくるサンパは、大きなゴミ袋をもったおじさん一人だ。

レバラン前になり、このサンパのおじさんにもTHLをやらないといけない。あげる必要はないという近隣の人もいるが、心優しい我が女房(のろけているわけではない)は「可哀想だから」と、お菓子の詰め合わせセットと濃縮ジュース一瓶をあげた。

この国(イスラム教国家)では、とくにこの時期(レバラン)、富める者が貧しい者に施しを与える習慣(宗教上の義務)があるのは、既に御承知のとおりである。

編集長ハル家が貧しいといっても、サンパのおじさんよりは裕福なことは確かなのだが、普通、サンパにお菓子の詰め合わせをあげるような家は滅多にない。女房にしたって、たまたま余ったお菓子をあげただけである。そして普通は、そのことに対して、笑顔で「テリマカシィ、イブ!(ありがとう、奥さん!)」と返ってくるぐらいである。しかし、このサンパの反応は、そうではなかった。涙を流して「テリマカシィ」と言ったのだそうだ。

簡単に言えば、THLでさえ満足にもらえないサンパのおじさんが、あまりにも優しい心遣いに、感極まって涙したということだろう。

そういうことなのだが、そのサンパの涙に、彼の生活背景を勝手に想像してしまい、たとえば―家ではひもじい思いをしている子供たちが父親の帰りを待っている。しかしゴミ収集で得られるお金では、パンすら満足に買えない等々―のような貧困ストーリーをついつい思い巡らしてしまう。そんな想像をしたってやるせないだけで、我々日本人にとっては意味のないことかもしれない。

この時期、ジャカルタには貧困家庭がたくさんやってくる。親子がリヤカーでやってきて、物乞いしていくのである。物乞いの役目は子供と母親だ。疲れた母親と子供をリヤカーに乗せて別な物乞い場所を求めてリヤカーを引っ張るのが父親の役目である。

自分の子供が小さいので、ついつい感情移入してしまい、そんな貧困家族を見ると、本当に歯痒い。やるせないなあ。

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