甥の様子を見てみる。手足をピクピクさせ、目は半開き、素人目から見ても「これはおそらく駄目だろうな」と思えるような容態であった。
私が一筆サインした後、すぐに手術は行われた。数時間ほどの手術であったろう。術後生命維持装置を付けられ、何とか生きながらえているものの、果たして回復する可能性はあるのだろうか、あるいはどれぐらい生き延びられるのだろうか、その辺は誰にもわからず、ただ医者にははっきりわかっているようで、とりあえずしばらく様子を見てみましょうということになった。
家族および親戚一同がほぼ全員が揃い、甥の様子を見守っていた。私だけは別の仕事が残っている。手術代の用立てである。貯金もないことはなかったが、生憎その日は土曜日であり、銀行でおろすことはできない。ATMでは限度額があり、結局知り合いの板さんに事情を説明、翌週返すという約束で、なんとか手術代を調達したのである。
翌日の話。ふたたび病院を訪れる。甥の父親(女房の兄)と(甥の)兄が抱き合って泣いていた。彼は私にひとこと「ドクターは『ティダ アダ ハラパン(希望はない)』と言うんだ」
このとき、初めてハラパン(希望)という単語を知った。医者の意味するところは「生命維持装置を付けても回復する可能性はないので(生命維持装置を)外しますか」である。希望のないところへお金を費やすのですかということだ。父親は外してくれと頼んだ。自身がお金のないこともあるし、私に迷惑をかけたくない思いから、決断は早かった。
その後、遺体は家に戻され、すぐに葬式が行われた。イスラムでは日本のように通夜のあと葬式といった段取りはなく、ほぼその日のうちに埋葬が行われる。
近くの墓地に全員が移動、甥の亡骸を埋葬した後、全員でコーランを読む。初めて当地にやってきた日本人が、うるさくて眠れないと愚痴るコーランも、このときだけは、死者を弔うには、もっとも適した祈りではないかと思えるほど、哀しい響きを持っていた。子供を見送る母は、涙を流すも口許に笑みを浮かべ、コーランを口ずさんでいた。正直に告白するが、やはり他人である私は、甥の死に関して涙を流すことはなく、客観的にインドネシアの文化を観察していた。しかし、この母親の涙目ながら口許に浮かんだ笑みを見て、思わず貰い泣きをしてしまったことも事実として報告しておきたい。
甥の容態から考えて、たとえ事故の後、すぐに手術が行われたとしても助からなかった可能性は大きい。しかし日本や欧米のように救急車が手配され、すぐにでも手術が行われていれば、助かる事例も多かろう。残念ながら現在のインドネシアでまずそれは不可能。私達在イ者はすぐ死と隣り合わせに生きているのである。(終) |