西洋の習慣であるチップは、我々日本人にとって、理解しにくいもののひとつである。日本なら寸志といったところだろうか。しかしホテルのベルボーイに寸志を渡すとはいわない。日本のホテルでは、チップを受け取らない(受け取ったら怒られるそうだ)「そんなに気遣いは無用です」ということだろう。
だから出張者が来てホテル滞在するとき「チップはいくら置いておけばいいんですか」と尋ねる。西洋人ならある程度の額を自分で計算できるのだろうけど。
「『気持ち』でいいですよ」と言われてもその気持ちの額がわからない。
チップに対するハルの理解の仕方は「何かしてもらった御礼に『気分がよければ』出せる範囲で小銭を渡すもの」である。これはハルだけに限らず大方の日本人もそう認識しているのではないか。
しかしその考え方を通せば、ここインドネシアではストレスが溜まることを発見した。インドネシアでは「何かしてもらった御礼に『たとえ気分がよくなくても』出せる範囲で小銭を渡すもの」なのだ。
日本人にとってチップは僥倖である。しかしインドネシアでは権利となる。これは貧富の差によるものも大きい。
たとえば、ここが日本でとおりすがりに道で車がエンコしているとする。近くの修理工場までそれを牽引してやった。そのとき困っていた人が御礼にといって1000円札を渡そうとしたら、あなたはそれを受け取るだろうか。普通は受け取らない。だいたいそんなことでお金をほしがる人は、最初からそんな手助けはしないだろう。
しかしインドネシアでエンコしたなら話は別である。困っていたら数分も経たずに、人がやってきて「どうしました?手伝いましょうか」と言って、やはり近くの修理工場までそれを押していってくれるだろう。このときは絶対にお金を払わないといけない。押すほうもそれが目的であるのだ。これをさもしいと言ってはいけない。インドネシアでは当然の権利である。
こんなことでお金を要求するの?と思えばストレスが溜まる。「ありがとうね!」と言ってチップをケチらないのがインドネシアでの正しい姿勢である。しかしケチらないといっても大枚をはたくのはやめよう。
少し話がそれた。駐車場係のチップの話題であった。駐車場係へのチップは寸志ではない。ショバ代であり、彼らにとって生活費の一部である。『気分がよければ』渡すものではなく、『たとえ気分がよくなくても』渡さないといけないものだ。
ここは自戒を込めて、今度からはチップを2000ルピアにしようと思う。車に傷つけられたら、たまらんもんね。
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