インドネシアジャカルタドライバー事情第12回

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ジャカルタドライバー考

第十二回

四番目にある「視認の法則」というのは、実はもっともベーシックな原理ではないかとわたしは思っている。事故を起こした者に対して「おまえはどこを見て走っていたんだ?」とか「何を見ていたんだ?」などというせりふが口をつくのは、ごく自然な人間の心理であるようだ。そんな発言者の心理の根底に横たわっているものがこの法則の真髄なのではあるまいか。路上の運転者たる者は、ちゃんと四周に注意をはらい、何があり、どう動いているのかをよく観察し、すべてをきちんと見ながら自分の車を運転しなければならない、という原則がそこに働いているようだ。この原理は実は、既述の三つの法則のすべてを支えるものであると言っても過言ではないだろう。
     
この原理にある重要事項は、まず自分が周囲をよく見ること、そして他車に自分を見させること、ではないかと思われる。そのために、スピーディーな動きは他車に自分を視認させることが不十分になることから、路上ではとかく緩慢な動きになりがちだ。車線変更をする車がすぐに隣の車線に移りきらないで、いつまでも二つの車線をまたいで走ることの原因のひとつがそこにある。急停車、急発進、急ハンドル・・・・、急のつく動作を誰もが避けている社会で急のつくことが起こるのは異常事態であり、それに柔軟に対処できる人は少ない。だからスムースに流れている交通に合流したい場合、じわじわじわじわとその流れの中に入っていくスタイルがインドネシアに生まれる。止まって道を空けてくれるドライバーはいないし、急ハンドルをきって無理に入れば十中八九ぶつけられるだろうから、合流車は川の瀬踏みでもするようにじわじわとそこに入っていく。流れを継続できないほどじわじわが進入してくると、流れの中にいてそこに来合わせた車はあきらめてブレーキを踏む。そしてじわじわ車はその流れの中に取り込まれるのである。
     
この「視認の法則」のおかげで、ぶつかったときに運転者は「知らなかった」「見えなかった」を強く主張するようになる。つまりよく見なかった側は相手がその存在を自分に認知させることを怠ったと非難しているのだ。この主張で相手が折れれば、タワルムナワルは成功だ。しかし誰しも争いには負けたくないもので、だからたいていは「流れの法則」や「鼻先の法則」を盾にして口論し、優位にある法則へと収斂していくから、よく見ないでぶつけた側に責任が求められるのは変わらない。

それらインドネシアの交通環境を統制している四つの法則からは、インドネシアの交通秩序を成り立たせているものが、交通法規が存在する以前の、人間の社会行動に根ざしたものであることが見えてくる。「流れの法則」はきわめて合目的的に、流れることを目的に形成された交通の流れは流してやれ、ということなのではあるまいか。更に、道路交通者は事故を起こすために路上に出てきているのではない、という基本思想にもとづいて、個々のシチュエーションでどうすれば事故を避け、交通をスムースに流すことができるか、ということの標準化がなされた結果生まれた原則が「鼻先の法則」であり、「視認の法則」だろうとわたしは思う。そしてもうひとつの「図体の法則」は、生命の惜しい人にとって注釈の必要などさらさらない栄枯不滅の鉄則だ。

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