インドネシアジャカルタの風俗・社会現象ルポ

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現代インドネシア 1001景

(2010年3月15〜23日)
「金にできるのはお腹の子だけ(1)」
北ジャカルタ市コジャ郡トゥグウタラ町ブティンルマジャ村。ジャカルタのあちらこちらにある上京者たちの集落のひとつがこの村だ。貧困を絵に描いたようなスラムの姿がそこにある。

建て込んだ狭い住居が並ぶこの一帯は三つのブロックに分かれており、6千人が暮らしている。エリア内の路地には側溝が作られてはいるものの形だけで、その端はすべて行き止まりになっており排水幹線につながっていない。

その結果家庭排水は側溝にたまるだけで流れていかず、蒸発量よりも流れ込む排水量がはるかに多いから水は路上にまであふれ、通行人はくるぶしまで汚水につけて往来している。ごみ収集システムもないため、町内の隅々にはゴミの山ができており、よどんだ汚水とゴミの中で暮らす住民の日常生活は不衛生不健康の典型で、体力の弱い子供たちがその犠牲になる。そこに住む子供たちにとって下痢・皮膚病・呼吸器系疾患は実の兄弟のようなものだ。

ブティンルマジャ村は公的な土地管理のなされていない不法居住地区だ。広大な空地に管理する者の姿が見当たらないため、上京者たちはそこに住み着いた。先住者の伝手を頼って地方から上京してくる者が増え、いつの間にか広大なスラム地区ができあがる。やってきた地方出身者たちは数年そこで暮らした後、状況の呑み込めた首都の中のもっとよい暮らしが営める場所を見つけて移っていく。だからここは新参上京者が最初に生活を営むための第一線基地だと言える。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(2)」
管理されていないと見なされた空地にかれらが住み着くのは、どうやら私物でないものは公共のものというインドネシアの所有観に根ざしているようだ。持主がいないということはだれでも無断勝手にその事物を使ってよいという意味になる。

だれかが見張っていて、他人がそれに手を出すと見張り人が出てきてそうさせないようにしようとするのは私物であるからで、土地にせよ道具にせよ、はたまた夫婦親子であってさえ、所有者がいなければほしい者が勝手にそれを使えるという原理が、その所有観の基盤をなしているようにわたしには思える。

だから工場の倉庫の片隅に半年以上も溜まっている在庫品や、ふつうは一週間程度で輸入品が回転している港の倉庫に、ひと月以上も置かれた貨物は、管理の網の目から漏れた品物という印象をかれらに与えるにちがいない。

倉庫内での盗難や紛失事件はそんな背景の品物が対象になっているケースが多いように思える。管理されていないものは所有者が忘れ去ったものであり、所有者にとって緊急な必要性がまったくないものなのだから、所有者が所有権を主張しないのは所有者がいないということにつながるのだろう。

だから街中で見張りもつけずに何かを置き、ほんのちょっとの間手を放して他の用足しに行き、急いで戻ってきたらその何かは姿を消していたという現象は、そんな所有観の延長線上にあるとわたしは思う。

ほとんどあらゆる事物にオーナーがあり、公的にせよ私的にせよ所有権が確立されているため、見張り人がいなくともその権利を尊重している世界の現代国民にとって、インドネシアのこの文化はなじみにくいもののひとつと言えるにちがいない。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(3)」
ブティンルマジャ村は1970年代に都庁がPTコティンドカルヤに用地利用許可を与えた。しかし都庁が与えた用地利用許可は『スンプルの4.45haの土地であってブティンルマジャ村のある土地ではない』と30年以上そこで暮らしている長老のひとりは主張している。

ともあれPTコティンドカルヤはブティンルマジャ村の土地利用権を得たとして不法居住村住民に立退きをせまり、住民との係争がはじまった。国民の居住権保護を主張する民間団体がそこに加わって長い闘争へと発展したあと、1998年にPTコティンドカルヤは銀行界再建庁の債務者となって土地の権利は移管され、更に銀行界再建庁はその後解散してしまったから、その土地のステータスはうやむやになって今日に至っている。

当然ながら不法居住村は地元行政の管轄対象にならない。そこに存在しているというのに行政機構は知って知らぬふりをする。末端にある地元民の自治機構は公的でないために上部構造と断絶しており、公的な住民福祉はなにひとつこの村に降りてこないのが実態だ。学校・失業対策・保健医療など国が国民に与えている福祉の恩恵はその村にいる限り得られない。そんな背景の中で村民が行なっている赤児売買事件が明るみに出た。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(4)」
サンティ24歳は困窮のさなかにあった。タンジュンプリウッのカンプンサワに借りた家の契約金支払が滞ってしまったのだ。残額はまだ55万ルピア残っている。大家は残額が支払われるまでの保証だと言って、夫アント29歳が持っている船舶操縦士資格を証明する証書を取り上げた。

その結果アントは今来ているタグボート操縦士の仕事をもらいにバンジャルマシンへ行くことができなくなった。行けば金が手に入って残額を完済でき、資格証書が手元に戻るが、証書を取り戻すために先に55万ルピアを大家に払わなければならない。証書なしでバンジャルマシンへ行っても仕事に就くことはできない。

この若い夫婦は毎日生活するのが精一杯で、多少の稼ぎはあっても一日の生活費にはとても足りず、同じ村に住む縁者を頼って食を得ている。

サンティは妊娠している。これは二人目の子供だ。最初の子はアントの故郷南スラウェシ州パロポの実家に預けてあり、アントの親が面倒を見ている。もう10歳になるその子と会う機会はあまりない。サンティはこの二人目の子供をだれかに育ててもらおうと考えた。子供は貧しい自分が育てるよりもっと裕福な家で育ててもらうほうが、この子の将来にとって良いにちがいない。子供がほしい夫婦は沢山おり、そんな夫婦から謝礼をもらえば未払いの金は完済できる。これはすべてが丸くおさまるよい考えだとサンティは思った。

しかし自分が腹を痛めて生んだ子を金に換えるということにサンティは不安を覚えた。ひとつは人間としての道を踏み外す罪悪ではないかということ、そしてもうひとつは赤児の人身売買にならないだろうかということ。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(5)」
ともあれ自分が金を得る道はこれしか残されていない。赤児を商品のように売買して巨額の金を手に入れようとする強欲な人非人と自分は違う。謝礼は100万ルピアでいい。自分の子供をときどき見に行ってその成長する様子を見守ってやれるなら、その子が自分を生母だと知らなくたってかまわない。

手に入った謝礼で未払い金を完済し、残りは出産費用にあてよう。そう決心したサンティは口コミで子供が欲しい人間を探し始めた。興味を示したひとはふたりほどいたが、その取引が進展を見せる前にサンティの行動が新聞沙汰になってしまったのである。

そして警察がこの事件の調査に乗り出してきた。赤児売買事件ではないかとして。

ブティンルマジャ村の立退き係争がらみでこの村の福祉向上に尽力しているNGOの職員のひとりは、貧困ゆえに子供を手放す事件はブティンルマジャ村でよく起こっている、と物語る。「しかし母親が受取る金は100万ルピア程度で、出産費用の穴埋めをしているだけだ。1990年以来そんな金額で赤児を他人の手に委ねた事件は25件発生している。子供によりよい将来を与えたいと願う親心の帰結だ」。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(6)」
北ジャカルタ市警本部婦女子保護ユニットは胎児を売ろうとしている母親がいるという情報に接して、その調査のために北ジャカルタ市社会課と共にブティンルマジャ村を訪れた。赤児売買は人身売買法に抵触する。警察はサンティの家を訪れて事情聴取を行なおうとしたものの、サンティが留守だったためにその隣人に話を聞いた。

世間に広まっている噂の実態把握が警察側の目的であり、その日確認できたのはサンティが自分の胎児を赤児がほしいひとにオファーしている段階であって、赤児が売り渡された事実はまだない、ということだけ。警察はさらに25回行われた赤児売買の当事者でまだブティンルマジャ村に住んでいる4人の母親たちとも面談した。

そのひとりエルナ43歳は「赤児を売ったなんて、とんでもない」と反論した。かの女は当時貧窮のどん底にあり、夫は毎日タンジュンプリウッ港へ仕事を探しに行くがなかなか仕事にはありつけず、金は入ってこないという日々が続いた。そして仕方なく自分より裕福で子供を欲しがっている家に赤児を渡し、100万ルピア程度の金を受取った。

貧困で不健康な環境の中で育てるよりも「そのほうが子供の将来にとってずっとよいことだ」と確信しての行為だった。そしてかの女はときおり自分の子供たちと実の母親として電話で会話する。

「子供を売り払った親にそんなことができるはずがない。自分は赤児を売買したのでないことをそれが証明している。」

エルナはそう主張している。[ 続く ]

「金にできるのはお腹の子だけ(7)」
それらの調査結果をもとに北ジャカルタ市警本部は巷で流れている赤児売買事件の調査を打ち切ることにした。北ジャカルタ市警本部犯罪捜査ユニット長はそれについて

「赤児売買犯罪の重要証拠は売られた赤児とその親が享受した金銭的利益だ。ブティンルマジャ村で起こっていることはそれらの要件を満たしていない。」と説明している。

北ジャカルタ市長は今回の赤児売買騒動に関連して、不法居住村が形成されてスラムができ、行政の手が届かない閉鎖エリアとなって貧困国民の増加を招いているため、不法居住村ができないようにしなければならない、とコメントした。

「北ジャカルタ市の貧困市民5万4千人の大部分がそんな背景のスラム地区に住んでいる。不法居住村の形成を避けるために土地所有者は空地を放置しておかず、その土地で何らかの定常活動を行うようにしてほしい。また河川敷などの公共用地も荒れ放題にせず整然として十分に管理された状態にしておくよう行政側も努めなければならない。」市長はそう語って不法居住地区発生に対する抑止を呼びかけた。[ 完 ]


(2010年3月8日)
「パチャルって何?」
パチャル(pacar)。インドネシア語大辞典によれば、その定義は「恋愛感情をベースにした関係にある固定的な異性の友人」となっている。広辞苑で恋人を調べると「恋しく思う相手」という実に情緒の欠如した定義が出てきて面食らうのだが、そのふたつはインドネシア語日本語辞典の中で結び付いている。

ただ現実には、異なる文化を背景にしているために価値観・習慣・社会環境などに影響されて恋人関係にある男女間の行動様式が異なるものになるのは当然であり、それ以前に恋愛感情の巣となる精神構造自体が違っているのだから、日本人とインドネシア人が恋愛関係に入ったからといって相手に自分の文化を投影して精神的な一体感を期待するとすれ違いが起こる可能性は高い。

アジ40歳(男)はナニ(女)に2千万ルピアを貸している。ナニはアジのパチャルだ。アジはバンテン州パンデグランに住んでいるが、ナニはリアウ島嶼州のタンジュンバライカリムンに親兄弟と一緒に住んでいる。このふたりがどこでどう結びついたのかよくわからないが、アジは何度もナニの実家を訪れてその家族とは顔なじみになっている。アジはナニに借金を返してくれと何度も言うのだが、ナニは言を左右にしてなかなか返してくれない。

アジは思い余ってある日、ナニの弟アチップ17歳をナニの実家から連れ出した。アチップには、姉さんがオレに借金を返してくれるまでオレと一緒にいろ、と言い含めた。そしてアチップはおとなしくアジと一緒にバタムからジャカルタに飛行機で飛び、スカルノハッタ空港からパンデグランのアジの家までついてきた。アチップにしてみれば姉の借金のかたとして身柄を拉致されたわけだが、抵抗もせずに姉の恋人に連れ去られた心理がよくわからない。そうしてアジはナニに対し、何のために何をしたかを連絡した。

怒ったのはナニの家族で、カリムン警察署にアチップが誘拐されたと訴え出た。誘拐犯はよく知っている人間で自宅がどこにあるかもわかりきっているから、これほど簡単に捜査が進展した誘拐事件はないだろう。リアウ州警察はバンテン州警察に協力を求め、アジは自宅で、アチップは預けられていたプサントレンで警察が身柄を押さえた。

アチップはパンデグランにいた間、食事も三度三度与えられ、虐待は一切うけなかったことを表明した。どうして逃げ出さなかったのかという問いに、自分の居場所がよくわからなかった、と答えている。またアジがアチップをカリムンから連れ出したときも、威嚇も暴力も一切なかったと語っている。

警察沙汰になったためにアジは刑法犯として裁きの場に引きずり出されることになるのだが、パチャルという人間関係の中でこのような事件が起こることに違和感を感じるのは、わたしだけだろうか?


(2010年3月1日)
「幽霊はナシゴレンが好き〜」
2010年2月はじめの月曜日の夜、マドゥラ出身のアドゥル25歳はいまや定職となった屋台を引いての食品調理販売に住宅地を回っていた。食品調理販売と言っても、屋台に備え付けたコンロの火に大鍋をかけて作るナシゴレンやミーゴレンがメインだから、ナシゴレン売りと称してもそれほど間違ってはいない。

その夜もアドゥルは、定常ルートになっているボゴール市内第2チパクインダ住宅地の中をビマ通りからアルジュナ通りに抜けようとして、鍋をカチカチ鳴らしながら屋台を引いて進んでいた。時間はもう23時過ぎだが、夜中まで起きているブガダン(begadang)青少年たちがよく夜食を注文するから深夜でも売行きは悪くない。

するとビマ通りの一番端の家の表で手招きしているひとの姿が目に映った。アドゥルが近付くと手招きしているのはパジャマ姿のまだ若い女で、おまけに美人だったから、アドゥルは心中快哉を叫んだ。インドネシアでは寝巻き姿で人前に出るのをみんなあまり気にしない。中にはうら若い女性がネグリジェ姿で表に出てくることもあるから、そんな光景に行き当たったら幸いなる哉というところだろう。さて、アドゥルはと言えば、かれの脳裏を疑念が横切った。この家は空き家だったはずだが・・・・

「お兄さん、ナシゴレンをひとつ作ってくださいな。」と鈴の鳴るような声で女は言う。愛想笑いか美人を前にしておもねったか、アドゥルは相好を崩して鸚鵡返し。「はいはい、ナシゴレンをひとつね。」そしてアドゥルは調理を始めながらその上品な女と世間話やら互いの身の上話やらをひとしきり。
「おねえさん、いつからこの家にいるの?」
「最近よ。」
「家の中は静かだけど、もうみんな寝たのかな?」
「そうだわ、電気を点けなきゃ。じゃあ、お金をいま払っとくわ。はい、これね。」
手渡されたのは合計6千ルピアになる二枚の紙幣。パジャマの女は家の中に入り、アドゥルはナシゴレンの仕上げにかかる。

そしてナシゴレンは出来上がり、皿に盛ったナシゴレンを届けようとしてアドゥルはその家の表門に向かった。ところがその表門の前でかれの足はすくんでしまった。電気の明かりなどどこにもない、寒々とした空き家が真っ黒な塊のようにそこにたたずんでいるばかり。

「えっ、あれっ、こっこりゃあ・・・・・・」

女が渡した二枚の紙幣はそのときシリの葉に姿を変えた。うわあ〜と腑抜けた声を出しながらアドゥルは屋台を引いて駆け出す。重い屋台を引いておよそ100メートルほど走ったところ、何が起こったのかと近隣住民が家の中から顔をのぞかせたから、アドゥルはやっと人心地がついた。

それからしばらくの間、アドゥルは巡回ルートを変えてビマ通りを避けた。ところがある夜、ふたたびアドゥルが屋台を引いてビマ通りにやってきたのである。どういう風の吹き回しなのだろうか?「昨日の夢にあの女が出てきたんだよ。『お兄さん、またナシゴレンを売りに来てよ』ってにっこり微笑まれたから、来ないわけにゃいかなくなってね・・・」


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この記事は西祥郎さんの提供です

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