(2006年11月27日)
「バビゲペッ(後)」
東ジャカルタ市クラマッジャティのチリリタンブサール村はジャゴラウィ自動車専用道路沿いの住宅密集地。2006年7月のある日、小型の猪が一頭村の中を徘徊しているのが見つかった。たちまち数人が追いかけて捕まえ、村の中で飯屋を営んでいるオヤジに売り渡した。その飯屋は普段から豚肉(猪肉?)料理を売っている。
10月のある夜、また猪が村の中をうろついていた。それを見つけた数人がまたそれを追いかけた。ところが猪は側溝にもぐりこみ、いきなり別の場所から出てきたりして巧みに逃げ回る。なかなか捕まらないのに業を煮やした村人のひとりが何気なく「こいつ、バビゲペッじゃねえのか?」と口にしたから、いきなり村中が「バビゲペッ出現!」の噂で沸き立った。噂というものはクリスタル現象を伴うものらしい。あっちの家でもこっちの家でも「ここ数ヶ月の間に何度か、家の中に置いてあったお金が突然見えなくなって・・・」という尾ひれが付いて広がったから、もうバビゲペッ間違いなし、ということになってしまった。そうして、追い掛けている連中までがその噂に呑まれた。夜遅くまで追い掛け回されたバビはとうとう人間に捕まり、若い衆がさんざんいたぶりまわしたあげく、村の中の広場にある木に縛り付けて見世物にする。半死半生の猪は逃げ出す気力もない。
バビゲペッが捕まったというニュースに村人たちが何百人も見物にやってきた。中にはぐったりしているバビに近寄って足蹴にし、この泥棒野郎めが本性を表せ、と怒鳴りつける者もいる。女子供たちも猪を遠巻きにしての見物で、夜明けが来て黒魔術が解けバビが人間の姿に戻るのを今か今かと待ち受けている。こうして長い時間が過ぎたが、猪の姿はいつまでたっても人間に変わらない。猪はそのうちにだんだんと虫の息になってきた。近郷に住む超能力者が噂を聞いてやって来る。じっくりとバビを観察したあとで村役に言う。「こりゃあただの猪だべえ。バビゲペッじゃねえよ。」
待てど暮らせど変身は起こらず、そのうち一番鳥が鳴いて朝がやってきた。「なあんだ、変身しないじゃねえか。」見物人たちはぶつくさ言いながら三々五々帰っていく。人だかりがだいぶ減った6時過ぎ、クラマッジャティ警察署から警官がやってきて、姿を変えないために村人たちの人気を失ってしまった、この孕んでいるらしい雌猪をお縄にした。警察がすぐにやって来なかったのは、お楽しみを邪魔して群衆を怒り狂わせるとたいへんなことになるのを知っていたための自粛だろうが、ひょっとしてかれらもバビの変身を待っていたのかもしれない。署に連行してしばらくするとついに猪の息の根が止まる。数時間後、村の中で飯屋を営んでいるオヤジが警察署にやってきた。迷惑にもバビゲペッに間違えられ、群衆の見世物にされてはかない生涯を終えたその猪のなきがらは、その飯屋のオヤジが引き取って帰った。[ 完 ]
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(2006年11月20日)
「バビゲペッ(前)」
ジャワの超常不可思議譚のひとつにbabi ngepet というものがある。これは黒魔術の一種で、正道からはずれて生きる決心をした者がドゥクンからこの術を授けてもらい、夜な夜なバビ、つまり豚に変身して近隣の村々を徘徊しては他人の家から金を盗み出すという安易な稼業を行うようになるというもの。ところがきわめて用心深いこの盗人は、侵入した家に1万ルピア札が10枚あればせいぜい1〜2枚しかくすねないので、盗まれたほうもいつまでも気付かなかったり、あるいはいつ盗まれたのかすらよくわからないケースがほとんど。
タンスの中に1万ルピア札を10枚へそくっていたのにいつのまにか8枚しか残っておらず、夫や子供がこのへそくりに気付いている気配はまったくないし、いつ自分が使ったんだろうかと一生懸命記憶の糸をたどりながらそれでも自分が使った記憶はなく、そのうちふっと口をついて出てくる言葉が
「あっ、バビゲペッだ!」
盗人のほうも、突然羽振りがよくなって村役から疑いの目で見られたりしないよう、楽でつつましやかな稼ぎを細く長く続けていく方針を守っている。ところがいくら魔術で変身したとはいえ、悪魔の存在を感知することのできる能力に恵まれたひともいれば白魔術を身に付けたひともいて、いくらインドネシアだとはいえ民衆共同体の中でそう簡単に悪がはびこるようにはなっていない。うろついているバビに悪魔のにおいを嗅ぎ取ると、そんなひとびとは村の衆を誘ってただちに社会の敵に襲いかかっていく。しかしその場で叩ッ殺すようなことはせず、捕まえると耳を切り取ったり、足先を切断してから放してやるのだ。翌日になって、耳や足を最近失ったひとが見つかるとさあ一大事。お定まり、問答無用の集団リンチがかれを待ち受けている。
一方、黒魔術の側にもそんな危機を切り抜ける方策がある。かれが深夜バビに変身して稼ぎに出ると、かれの女房は灯油の明りをつけて炎をじっと見守るのである。風もないのに明りが大きく揺らめきだしたら、それは夫の身に危険が迫っていることを意味している。女房が急いで明りを吹き消すと、遠く離れた場所で村の衆に追いかけ回されていたバビの姿も、その瞬間ふっと闇の中に溶け込んだように見えなくなってしまう。
ジャワのどこへ行こうと行き当たるのはまず例外なくムスリムのカンポンであり、豚を飼っているところなどひとつもありはしない。そんなところで夜中にうろついている豚が見つかったら、耳や足をちょん切るどころか、その場で叩ッ殺されるのが相場ではないだろうか?「ならばこの話はいったい何なの?」と疑問を抱いたのはわたしだけではあるまい。この疑問を地元の物知りに問いただしたところ、バビとはバビフタン(babi hutan つまり猪)のことだよ、と教えてくれた。ジャワでも昔は夜になると猪がよく山から村に下りてきたそうで、だから村の中を夜中に猪がうろつくのはありふれた光景だったそうだ。だからこそバビゲペッはバビフタンを隠れみのにすることができた、というのだ。
しかし何もわざわざムスリム住民が快く思わない猪を選ばなくとも、カンポンの中には猫でも鶏でもネズミでももっとありふれた動物がいるではないか。そんなありふれた動物に変身するほうが怪しまれる確率ははるかに減少するではないか、と理屈っぽいわたしは物知りを追及した。すると敵もさるもの、それに対する回答を持ち出してきたのである。つまりバビにしか変身できないという理由が用意されていたのだ。黒魔術が悪魔のものであるゆえんがそこにある、と地元ムスリム物知りは説明した。「アラーはバビ以外のものが悪魔の黒魔術に使われることをお許しにならなかったのだ。だから悪魔に魂を売り渡した者が変身できるのはバビに限られている。アラーの恵みと慈しみは無限大なのである。」
それはともあれ、ジャカルタのど真ん中に2006年10月、バビゲペッ騒動が持ち上がったのには驚かされた。[ 続く ]
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(2006年11月13日)
「自動車詐欺」
東ジャカルタ市のジャティワリギン住宅地に住むスワルディは自分の車2000年製ダイハツタフトロッキーを売るために新聞広告を出した。グナワンと名乗る男が車を見たいと電話でコンタクトしてきた。約束の時間にスワルディの家の前でホンダCRVが一台停まり、55歳くらいの瘠せて色黒の男と50歳くらいの大柄で背の高い男が下りてきた。瘠せたほうの男がグナワンで大柄の男は同僚だと自己紹介した。そして車の状態を調べた後、ぜひ買いたいと言う。ふたりは、明日現金を持ってくるから別の人間に売らないでくれ、と言って帰った。翌日グナワンはスワルディの家の前でいすゞパンサーから降り、パンサーは去った。価格交渉がはじまり、ふたりは1億2百万ルピアで合意した。グナワンは頭金を取りに行きがてらテストドライブをしたいと言う。スワルディは「どうぞどうぞ」とふたつ返事。グナワンは東ジャカルタ市ラワマグンのパサルパギにある自分の店まで金を取りに行くからということでダイハツタフトの運転席に座り、スワルディは助手席に乗る。
パサルパギに着くとグナワンはスワルディに「一緒に店まで来てくれ」と言う。ふたりは建物の二階に上がり、雑貨店の前に来た。グナワンは近くにいた飲物屋からテボトルを買ってスワルディに渡し、「ここでちょっと待っていてくれ」と言う。スワルディは金と引換えにグナワンに渡すため、車のキーとSTNKを持ってきている。車はもちろんロックしてある。グナワンはその雑貨店の中に入って行った。スワルディはテボトルを飲み干したが、グナワンはまだ戻ってこない。何気なくふと下を見ると、さっきパサルの建物の前に停めた自分の車の姿が見えない。驚いたスワルディは二階から一階に走り下りて周辺を探したが、かれのダイハツタフトロッキーは姿を消していた。スワルディは再び二階に駆け上がるとさっきの雑貨店に入って店員に尋ねる。
「グナワンはどこかね?」 「ええっ、知らないね、そんな名前のひとは。」 「この店のオーナーだろ?」 「この店のボスはサリムだよ。」 「さっきこの店に入ってきた男は・・・?」とスワルディは人相風体を店員に言う。
「ああ、そのひとは何も買わないですぐにあっちへ出て行ったよ。」
スワルディの膝から力が抜けた。やられた。グナワンは下りる時にエンジンフードのロックを外しておいたにちがいない。気を取り直したスワルディは盗難届を出しに警察を訪れた。あれからもう三ヶ月経つというのに、スワルディの車はまだ見つからない。
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(2006年11月6日)
「処女信仰」
相談者〜
わたしは39歳の既婚者で、妻は35歳です。結婚して8年が過ぎ、子供がひとりいます。一見わたしたちは幸福な家庭を営んでいるように見えるでしょうが、わたしはとても無念な感情を胸の奥底に秘めています。思い出すたびに無念さがこみ上げてくるその感情はしばしばわたしに処女を自分のものにするようにと誘いかけるのです。
わたしと妻が結婚し、ふたりがはじめてセックスを行ったとき、妻に破瓜出血はありませんでした。妻はわたしの前に他の男性と付き合っていましたが、妻との恋人時代にかの女はセックスをまだしたことがないと言っていたので、わたしは出血がなかった事実に驚きまた大変がっかりしたのです。結婚前にセックスしたことは本当にないことを誓っても良いと言うのですが、じゃあどうして出血がないのかとわたしが尋ねても「判らない」という返事しか返って来ません。ともあれ、外聞を考えてわたしはこの結婚生活を破綻させないように維持しています。
今でもわたしは時折、処女とセックスしたいという衝動に襲われます。それが実現すればわたしは満足し、また自分に自信を持つことができるでしょう。わたしは妻の知らないところで処女の娘と親しくなりました。自分はまだ処女だと本人が言うのです。しかしセックスする前に結婚しなければいやだと言い張るので、そのときわたしはまだ妻をふたり持つ用意ができていなかったためにその娘とは別れました。
処女でなかった妻の替わりに他の処女の娘とセックスしたいというわたしの欲求は異常なのでしょうか?わたしと妻がセックスする前、かの女は本当にまだ処女だったのでしょうか?処女であっても必ずしも出血しないこともある、とどこかで読んだ記憶があります。それは本当でしょうか?
セックスドクター、ウインピー・パンカヒラ医師〜
あなたの奥さんが結婚前に性交渉を持ったことがあるかどうかというポイントにわたしは答えることができませんので、あなたの奥さんが結婚前に処女だったかどうかを判断することはできません。破瓜出血があったかどうかでひとりの女性が処女だったかどうかを決める手引きにすることには無理があります。あなたが処女の出血に関する迷信を信じているのはたいへん遺憾です。実際、それは誤った迷信なのですから。女性がはじめてセックスを行った場合でも、必ずしも出血するわけではありません。もし女性の側が十分な刺激を受けてその行為を受け入れる状況が調っており同時に心理的な障壁も取り除かれていれば、はじめての性行為であっても出血は起こりません。しかし身体的精神的に十分な準備が調っていなければ、出血する可能性は大きいと言えます。
あなたの理解に大きな間違いがあるので、まずそれを改めなければなりません。処女の血を見たいがために処女との性交を望むなど、これほど馬鹿げたことはありません。そしてそんな希望も、上で述べた説明にあるように、必ずしも実現するとは限りません。ましてや夫婦の絆を損ない、家庭生活に悪影響をもたらすであろうそんな希望に対しては何をか言わんやです。ただの迷信に過ぎない処女の血に関する説明を聞いた上は、その復讐めいた処女を求める欲求は消滅させなければなりません。知らないということは確かによく悪い結果を導くものなのです。
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