インドネシアジャカルタ最強駐在員・坂井師匠の体験エッセイ

ジェイピープルメインページへ インターネットコンサルティング


第64記 2006年2月15日

帰国後は、電車にも乗っている。ジャカルタでは見るだけだった電車。車内でおとなしく座席に着いている限り、日本のそれは安心安全だと思っていた。
 
が、である。
 
珍しく「特急」に乗れてしまったその日、おまけに「ボックス席」のひと隅が偶然にも空いていた。そこにうまく「座った」のが不幸の始まりであった。日本の列車内での話である。
 
特急列車は駅をいくつも飛ばすので、速い。速度も速い。しかし車輌は普通列車よりも良いのか、あまり揺れがないように感じる。それに殆ど駅に止まらないので、ドアの開閉回数が少なく、この冬の時期は特に車内の暖房がよく効いてくれる。私はその特急列車の温もりと揺らぎに少しウトウトし始めていたのである、、、その時である!
 
「パコ〜ン!」
 
私の後頭部を直撃する何かがあった。私の頭に何かが落ちて来たのである。ガツ〜ンというより、パコ〜ンという感じであったのは、私の頭の中に空洞が多いことを意味しているのではない。衝撃物の素材の音である。
 
その、私の頭を直撃した落下物とは、、、網棚に乗せてあった「ヘルメット」であった。なに!ヘルメット?ヘルメットって、頭にかぶるもんでしょ?頭に当てるもんではないでしょ?私はその持ち主である隣の座席の男性に、丸いモノは上に置くなと諭したものの、周囲の乗客の目は「パコ〜ン」という音以来、私に集まったままである。

恥ずかしくなって私は次の駅で降りようかと考えた。が、乗っているのは「特急」である。次の駅も、その次の駅も、停車せずに飛ばして行くではないか。
 
仕方なく、少しでも前や斜めの乗客から視線を外そうと席を立とうとしたが、私の座っている席は「ボックス席」である。ほぼ満席状態のその車輌の中で、次の駅までまだ10分以上もある中、あえて私が席を立ってつり革にぶら下がったとしたなら、「あのヒトよ、さっきのパコ〜ンは」と、かえって目立ってしまうではないか。「よ〜し、思い切って立ち上がり、隣の車輌に移動しよう」と思ったが、、、なんと!隣の車輌は「女性専用車輌」この先、男性は入れないというのか!ギャー!車内孤独である。
 
帰国者たちは今日も、速くて守られて仕切られた便利に見えるツールも、それをうまく使いこなすには、相当の準備と、失敗時の覚悟と対応が事前に必要、と頭の中で考え続けるのであった。

第63記 2006年2月1日

私は仕事がら名刺を交換する場面が少なくないが、とあるセミナー講師が「近頃ビジネスのマナーができていない営業マンがいる。嘘のようだが、年輩の営業マンでも名刺を自分の方に向けて相手にさしだす者がいる!」とつぶやいておられた。名刺を差し出すときは、相手が読みやすい向きに向けて差し出すのが当然である、とこの先生は仰る。
 
ふと、インドネシアで仕事をしていたときのことを思い出した。名刺を自分が読みやすい方向のまま相手に差し出すビジネスマン、、、そんな人、たくさんいましたよ。最初は確かに驚いた。もらった方は、そのまま名刺を読めない。受け取った直後に自分の読みやすい方に反転させなければならないからだ。
 
さて、これはビジネスマナーに反するのであろうか。

ハサミを人に手渡すとき、我々日本人は、幼い頃から「刃物を人に向けてはいけません。ハサミの刃の部分を自分で握って、取っ手の方を相手に渡しなさい」と、誰しもが教わったはずだ。
 
それが、である。インドネシアでは、そんな教育を広くはされていないのであろう、ハサミも自分が握った状態のまま、相手に差し出す人はいくらでもいた。最初は確かに驚いた。もらった方は、そのままハサミを使えない。受け取った直後に自分の使いやすい方に反転させなければならないからだ。それより何より、刃が自分の方に向いていると危ないのである。
 
さて、これは生活マナーに反するのであろうか。

人間が作った決まりや規則は、自分たちが社会生活を「やりやすく」するために、作られたわけである。つまり「お互い腹を立てることがないように」暮らすために生まれたものだと私は思う。ところが世界にはいろんな人間がいるので、人間ごとに異なる決まりがあってもおかしくない。また、それらを伝え、教えていくことを それら全ての人間がするかどうかというと、それもまた一定ではない。
 
いろんな決まりがいろんな風に存在しているのだ。自分がそれまで「これが当然」「これが正しい」と思っていたことが、そうでないと体験した時、それを「正そう」とするかもしれない。しかし同時に、こういう体験は驚きと同時に一生忘れない印象深い出来事として記憶に残るものである。従って逆にこういう印象深い動作を「倣おう」とするかもしれない。
 
名刺を逆に受け取ったら、ついその相手の顔をジロジロ見てしまう。「め、名刺が逆じゃないか!」強烈なインパクトを私に与えたコイツはすごい!ハサミの刃をこちらに向けられては「あ!危ないじゃないか!」その人のことも決して忘れることはないだろう。そうか、実はこれ、相手に印象づける新手の戦法だったのだろうか!?
 
帰国者たちは今日も、1億2千万の日本人の中で自分を人に印象づけるために天の邪鬼になりながらも、さまざまなインパクトを狙って存在をアピールするのであった。


第62記 2006年1月15日

12年ぶりに日本で正月を迎えたものだから、いろいろ「正月らしいこと」を堪能してみたかった。新年を迎えるにあたって、気を正した雰囲気の中で大晦日から元旦を迎える。心も体も表れる気持ちで新年を迎え、、、と少しは厳かにと思っていたものの、実のところは、飲んで食べて仲間に会って、そして正月の遊びで通した2006年頭であった。

そんな中、親類が車で「シカ」をひいてしまった。元旦の出来事である。

私の住まい近くの山には野生のシカが生息しており、実はこれで親類がシカをひいたのは2度目である。前回は、不幸にも死んでしまったシカ。そのときは保健所に引き取られたそうだが、今回は、ひかれてもそのまま逃げてしまったらしい。ぶつかった車のボディーをみると、鹿の血や毛がまだなまぬるく付着していた。シカのほか、サル、クマ、タヌキが出没するので注意、と道路標識にはあるが、どう注意して良いものか。相手が動物の場合、その事故は物損事故になるらしい。

とっておきのお話をしましょう。実は、だれも信じない話なのだが、、、

私の知り合いに数十万キロも無事故無違反だったという大型トラック運転手がいる。しかしその彼が、たった一度だけ事故を起こした。その事故とは、、、「キリン」をひいたというのである。

これまで、この話をいろんな場面で知り合いに話したりしてきたが、いまだかつて、信じてくれた人がいない。しかし、本当なのだ。真実なのだ!彼はキリンをひいたのだ!

確かに、キリンが車にひかれる、という話は落語か漫才の話か?とも思える。あの、キリンが、首の長いキリンが、道路に出てくる方がおかしい。しかし、その運転手の話では、いつもの道を走っていたところ、急に運転席の目の前に動物の顔が現れたというのである。かなりの衝撃を感じたというが、あまりに急な出来事であったこと、そして数mの高さに位置する運転席フロントガラスに動物が降って来るとは考えつかない、、、と、彼はその瞬間の出来事を信じようとはしなかったのだ。しかし彼がトラックを止めて前部を見たところ、フロントは見事にクシャクシャに壊れ、あの大きなボディーのトラックのキャビン前面が「のっぺらぼう」のようにプレスされていたという。

彼はそれでも、「動物が降って来た!動物が降って来た!」と、あまりのショックでしばらく運転席に座れなかった。宇宙からの出来事でもなく、心霊現象でもなく、ぶつかったのが動物で、そのまま逃げたその動物が、「キリン」であった、そのことが判明したのは、、、実は、同じ頃「移動動物園からキリンが逃げ出した!」という騒ぎが起きていた。まさしく、トラック運転手の彼がひいた動物とは、その逃げ出したキリンだったのである。その後、負傷したキリンは見つかり、無事もとの移動動物園に引き戻されたらしい。

物損事故とは言え、相手がキリンやゾウなら被害も大きい。保険屋さん、「キリン特約」とかいる時代なのでしょうかね。シカ事故をキッカケに、帰国後のリスク管理を思い直した正月であった。インドネシアなら、トラもヒョウも、もっと敏速に逃げるのだろうか。

帰国者たちは今日も、自分が不在であった期間中に日本がどんな変化をしてきたかをいち早く自分に取り込み、将来に備えライフスタイルも見直すのであった。

第61記 2006年1月1日

帰国して初めての年越し、無事に日本で迎えることができた。これまで南国で真夏の正月を毎年迎えていた自分にとって、ひさしぶりの日本の正月は「あれもしたい、これも堪能したい」と欲張りにも案を立てていたが、結局のところは「飲み食い」で過ごしている。いや別に「飲み食い」だけを堪能したかったわけではない。が、実はこれができそうでできなかった、その一つなのかもしれない。

振り返ると、これまで南国ジャカルタに暮らしていた頃は、最近でこそ日本の料理やお酒にも触れる機会に恵まれていたが、外を見回すと大晦日から元旦にかけて、暑さ+騒がしさがあった。カウントダウンに向けて暴走する車やバイク、花火に爆竹、酔っぱらいは少ないはずなのだが大声で騒いで街を闊歩する人々。。。少し郊外ならそういう風景も少なかったであろうが、私の住まいはジャカルタ市内も市内、都心部であったので、こういう風景は毎年のことであった。

そしていま、日本での住まいは周囲に神社が多くある。お寺よりも多いので除夜の鐘も聞こえず、まさに静かである。ほんの少し、神社からの和太鼓の音が遠く響いている。静かにしていれば、神社の境内で焚いているたき火の火の粉の音がパチパチと聞こえて来そうな気さえする。きっと、少し離れた都心部では、ジャカルタ都心部と同じように、賑やかで騒がしいことであろう。しかし今自分は、「無音」という音を楽しんでいる。実は一番堪能したかったこと、それはこれだったのかもしれない。

騒がしいことが一番とも思わない。静かなことが一番とも思わない。確実なことは、無いものを欲しがる欲が存在することだけである。静かであっても、元気さは忘れたくない。落ち込む話題が続くいまの日本、静かであってもしっかりと動き続ける元気さを忘れずにありたい。

帰国者たちは今日も、冬がまさに蓄電の季節であることを深く認識し、静と動を使い分ける技を持った自分たちに誇りをもって新たな春に向かって突進し続けるのであった。

過去の駐在員記を読む


※このサイトに掲載されている内容(データ)は ジェイビープルが所有するものであり、無断転載、転用及び無断複製は一切禁止します。
※リンクはフリーです。Copyright(c)2004-2005 JPEOPLE