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第68記 2006年4月15日
落下物シリーズは今回も?インドネシアで体験したそれは、これまた日本ではなかなか見ることのできない光景であった。
インドネシアの高速道路は、それはそれは、日本の高速道路に比べれば安全面も機能面も不足気味である。特に、白線やガードレール、反射鏡や案内標識が少ない。整備不十分。雨天時、夜の走行は特に危険だ。太陽電池で動く非常電話も、盗難に遭う。料金所では小遣いをせびるおまわりさんがカモとなるトラックを待ち伏せしている。しかし、そのトラックはみな必死にモノを運び続けているのである。日本でも最近、トラック車検の不正が問題に取り上げられた。少しでも多くのモノを、少しでも早く運びたい、それは世界共通か。
インドネシアの高速道路で私が実際に目にした落下物で印象的だったのは、アクア(ボトルに入った水)、野菜、家畜のヤギ、ニワトリ、ガソリン、など。正確には、落下物が印象というより、それらが落下した後の光景が印象的なのである。落下するのは仕方ない、運んでいる以上は。
タンクローリーが横転してガソリンがこぼれだしたときは恐かった。実際に、家が数件火事になったが、しかし、住民たちは凄まじかった。燃えている民家の消化に当たる人がいる一方で、その数より断然多い人たちが、桶やアクアのボトルを手にして走り回っている。そのこぼれだした、あるいは転倒して運転手の逃げたタンクローリーのタンクから、ガソリンを盗んでいたのである!
何百本ものアクアを載せて走るトラックが横転したときは、当然のように、その転がったアクアを持ち帰る、壮絶な争奪戦。落下したモノは、すでに所有者の手から離れたとでも言うのだろうか、ニワトリや野菜が落下したときもそう、住民たちは争うように「地面にあった」そのモノを拾っていた。
では当事者であるその運転手は何をしているかというと、必ずといってよいくらい、「逃走」する。輸送会社の従業員もいるが、日雇い当然の運転手の場合、成功報酬で運転していることも少なくない。約束通り運搬できなかった場合、トラックの修理代や荷物の補償を怯えて去っていく、というのである。
落下する原因は何であろうか。トラックの整備不良、運転手の運転技量未熟、荷造り不十分、道路状態の不良、過酷な労働条件や過密スケジュール、交通事情や天候、、、いろいろ考えられるが、その奥に潜んだもう一つの原因として、住民の仕業、も、つい考えてしまう。道ばたに潜んで、獲物を積んだトラックが横切るとき、転倒させてしまう一味。海に囲まれたインドネシアの洋上に、海賊が多く潜んでいることを考えれば、道ばたにもそんな集団がいてもおかしくなさそうだ。いつの時代も、どんな場所でも、周囲には危険が潜んでいることを再認識させられる。
帰国者たちは今日も、帰国したからと言って安全認識を怠ることなく、安全神話が崩れ始めている日本でこそが気が緩みやすいことを心し、過去の事例や世界の状況を調査しつつ、より快適な暮らしを探し続けるのであった。
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第67記 2006年4月1日
前回に引き続き、暮らしの中で見た、落とし物シリーズ?またもやおかしな光景に出くわした。それは存在できないはずのものが存在していたという事実である。存在してはいけないものが存在していたとでも言うべきか。それは車を運転していた自分がこの目で目撃した。
その日、観光バスも多く通る片道3車線の広い道路を私は車で走っていた。昼間の出来事である。そこから私は左折しようとした。進行方向を変更するとき、いつものように安全確認のため、周囲を見回す。左右前後、そして上下も目視で確認である。左右に人はいない、車も来ていない、よしOK。次に前後確認、これも安全だ、よしOK。そして上下、落下物の危険はないか、へんなモノが落ちていてそれを踏む危険性はないか、と。
それが、である。あったのである。そのへんなモノを踏む危険性があったのである。
驚いた。道路上に「タイ」が泳いでいたからである。たい焼きのタイではない、魚の鯛である、タイ、たい、鯛である。正確には、水のない道路上で赤い鯛が跳ねていた、とでも表現しようか。とにかく、路上に鯛が一匹寝ていたのである!
運転中の私は思わずハンドルを持ち間違いそうになった。どうして道路に魚が跳ねているのか?魚類は陸上に生息できないはず。どこから泳いできたのか?このタイちゃんは、何の目的でここに来たのか?そしてこの後、どうなるのか?
後続車もあったので停止せず、私はそのタイちゃんを拾うに拾えなかった。そのまま不思議に思ったまま、左折して車を進めたが、路上のタイちゃんがいまなお気になって仕方がない。ウロコのピンク色がきれいであった。あれはきっと、きん目鯛である。
いろいろ考えてみた。おそらく、鮮魚を積んだトラックが左折時に荷台からタイを一匹落下させたのであろう。近くには市場があるから、このストーリーが濃厚である。
市場へ運ばれる途中の左折時に「チャンス!」とばかり、脱出を試みたタイちゃん。しかし、そこに水は無かったのである。かわいそうだが、おそらく息絶えたと思う。
私が目撃したときは、まだタイちゃんの体はピンク色に輝いていた。しかしそのあと、もしかしたら、他の車にひかれてしまったかもしれない。かわいそうに。人間に食べられる前に車にひかれてしまったら、、、カラスの餌になっているのかも。。。タイちゃんがカラスに食べられていたとしたら、、、
「3カ月以下の懲役、若しくは5万円以下の罰金、又は10万円以下の罰金」道路交通法では落下物は落とし主の責任となっている。よってストーリーが正しければ、このタイちゃんを落としたのは、それを運搬していたトラックの運転手だ。そのトラックの運転手さん、タイちゃんに謝ってほしい。そのタイちゃんで心を痛めている私にも謝ってもらえますか。
帰国者たちは今日も、前後左右上下全方向に3Dカメラを駆使し、心痛める人には慰めと労いをかけることも忘れず、責任追及するところは追求する、法律遵守の社会人なのであった。
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第66記 2006年3月15日
帰国後の私は、日本国内を出張する機会があるのだが、その際によく寝台列車を使う。毎度のように同じ列車を使用するので、チケットカウンターで「いつものやつ1枚」と簡単に購入できるように登録できるシステムになっていれば便利なのだが、今のところそういうシステムはないようだ。(新幹線を除き)
先日もいつもの寝台に乗り込んだ。指定座席に着くと最初にシーツを広げて寝床をとり、衣類をハンガーにかけ、備え付けの浴衣に着替える。就寝前にはトイレに行くのだが、今回はその洗面台で妙な忘れ物を発見した。
妙な忘れ物、、、洗面台のシンクの横に、ひっそりとそれは置かれていた。最初「マフラーかな?」と思ったそのモノとは、、、なんと「カツラ」であった!「カツラ」である。頭に付けるあの「カツラ」、皆様よくご存知のあの「カツラ」である。
なぜそんなものが寝台列車の洗面台に置いてあったのであろう。きっと、そのカツラのユーザーが洗面時に外したはいいものの、付け忘れて、そのまま置き忘れて行ったのであろう、そういうことはいとも簡単に想像がつく。しかし、私がその場で歯磨きをしている数分間の間、そのユーザーは姿を現さなかった。いや、思い出したが、他人の私が洗面台を占領しているので、モノを取りに戻れなくなったか。私はそうかとも思い、少し洗面台から離れて歯磨きを続けていたのではあった。が、それが余計にユーザである彼(彼女?)の心を不安定にさせる結果となったのか?
歯磨きをしながら、遠目にそのカツラを眺め続けていると、、、ふと、自分の頭に装着したくなる気分にそそのかされる。皆様はそんなことないですか?一度は体験してみたい、とか、妙な好奇心は駆られるものである。ちがいますかね?
寝台列車は夜通し走り続ける。私は気になりながらも就寝し、未明に再びトイレに寄った。その際、洗面台をのぞいた。カツラは、、、消えていた。誰かが盗んだのだろうか、そして一人ひっそりチョバしているのではないか(チョバ:インドネシア語で「試してみる」という意味)。余計な心配が増えた。
いや、ちがう、私がチョバしていないのに、他人が私より先にチョバなど許せない!そうだ、きっとユーザーのもとへ戻ったにちがいない!そう信じる。私はチョバしていないぞ!そのカツラ。。。
帰国者たちは今日も、見るもの聞くものすべてに関心を持ち、誰よりも先に新たな体験をすべく24時間好奇心のアンテナを張り続けているのであった。
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第65記 2006年3月1日
現在住んでいる住まいの学区で、インドネシアに関するワークショップを開いた。内容はインドネシアの文化紹介、そしてその中で、「体験!アチェダンス」を行った。アチェダンス、あの正座して行うラインダンスのアチェダンスである。
決して指導できるほどではないが、インドネシア駐在時代は縁会って数年に渡って私はアチェダンスを教わり、そして人前で披露したものである。何年もかけて覚えたおかげで、帰国後にこれまでその披露機会はなかったが、今でも体は覚えているもんだ。
当日は親子約50名ほどに参加いただき、はじめにインドネシアという国の紹介、そして文化交流として、アチェダンスを皆で挑戦することにした。
この踊りは楽器演奏がなく、すべて指導者のかけ声と歌声だけですすめる。横一列に正座した踊り子たちが、その一挙一動がピタッピタッと合い、徐々に速度が上がるものの、乱れることなく全員が揃って最後の締めが決まれば、それはそれは美しい踊りになり、見ている者も楽しくさせる。私はこのアチェダンスが大好きだ。その大好きなアチェダンスをまさか帰国後も多くの人と一緒に体験できるとは、思いもよらなかったし、とても光栄で感動であった。
初めての方には、やはり少々訓練が必要だが、この日はあくまで体験。こんな踊りもあるのだ、という感想からインドネシアを想像してもらえれば嬉しい。数十分練習したあとは、子どもチームと親チームに分かれて競い合った。素直な子どもたちは、覚えの早い子もたくさん居て、練習終了後も熱心に「ここはこう?」とたずねてくる小学生の子もいた。
踊ったあとは、インドネシアから持ち込んだ、クルプック(エビせんべい)とテ・マニス(甘いジャワティー)で茶話会。話をしていると、インドネシアへ旅行した人が数名おられたのには驚いた。みんな結構、インドネシア知ってるのですね。
このクルプックとテ・マニス、実は私の1年前の帰国時に、引っ越し荷物に入れて持参したものである。1年間消費し続けたが、まだ在庫が残っていた。それが、帰国1年後に、この日のように多くの人に喜んでもらえる機会があるとは考えつかなかった。大量に持ち込んで良かった、と思った。どの世界でもお茶とお菓子は多くてもムダにはならないものか。
実は驚いたことに、受講メンバーの中にインドネシア人が1人参加されていた。インドネシア人の前で、日本人の私がインドネシアのことをさぞ詳しいような顔して説明したり踊りを教えたりするのは、照れるものである。しかし、彼はアチェダンスを殆ど知らない、という。それもそのはず、彼はロンボック出身のインドネシア人だったのだ。
しかし知らなかった、同じ地区にインドネシア人家族がいたなんて。もうこの学区に家族で8年も住んでいるという。そういえば、この学区の小学校には日本語のうまいインドネシア人の女の子が通っているのを知っている、そうか彼の娘さんだったのか。見慣れたインドネシア人の顔つきに、ふと懐かしさが込み上げた、そんな日曜日のある午後であった。
帰国者たちは今日も、いつまで「元駐在員です」と自己紹介できるかにおびえながらも、駐在時に得た知識や技術を駆使して、日本国内で国際交流に貢献するのであった。
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