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第72記 2006年6月15日
ジャワ地震の傷跡は大きい。亡くなった方々にご冥福を祈りたい。怪我や病気になった方々にも心が傷ついたであろう、せめて医療支援などが充分効果の出ることを祈っている。怪我を免れたにしろ、家を失った方々もたいへんである。ニュースなどでは家を建てる資材なども価格が高騰し、それらを運ぶ交通手段も料金が上昇しているという。
産油国でありながら原油輸入国であるインドネシアは、これまでも国民のためにガソリンの価格などを国策として調整してきたが、最近はその補助も減り、交通機関は値上がる一方。建築資材も原油高騰と災害復興の影響で、こちらも価格の下がる要素は少ない。自動車タクシーの運転手からも悲鳴が聞こえてきそうだ。
インドネシアには自転車タクシーがある。普通の自転車の後ろに客を乗せるタイプから、一番有名なのは、やはりBECAK(ベチャ)であろうか。前輪が二輪の三輪車で、客は前に乗せる。そのベチャに、私は何度か乗ったことがある。流れる景色、空気が良ければ実に爽快である。ただ、客が運転手より前に乗っているので、運転手がどちらへ曲がるか予想できないときは、急な方向転換に驚くことがある。おまけに、運転手が急ブレーキをすると、前方に転げ落ちそうになることもある。当然シートベルトなど装備していないので、ゆっくりスピードのジェットコースター気分だ。急いでいる訳でもなかったので「楽しめた」という印象だ。私がベチャに乗ったのは、その必要があったからである。
実は日本に住む私の街にも自転車タクシーがある。こちらは前輪一輪の三輪車。インドネシアのベチャと違い、料金交渉はできない。大人300円、子供200円と決まっている。そして日本の天候に合わせて、風防やフロントガラスが付いている。そして決定的な違いは、、、電動アシストが装着されていることである。
インドネシアでよく見たベチャのシーン。それは、急な坂であろうが、客と一緒に米や20kg近いガスボンベを詰まれようが、あの炎天下の中、必死にこぎ続けるベチャの運転手。そのおじさんたちの顔を思い出す。インドネシアのベチャも、ゆっくり流れる景色を楽しむリゾートのものではなく、人も建築資材も載せて運ぶ、大切な「庶民のための運搬車」なのである。ベチャの運転手がいなければ、困る人が多く出るわけだ。
ところが、わが街のこの電動アシスト付き自転車タクシーは、観光目的である。生活のためや、市民の移動の足となっている訳ではないのである。当然、米やガスボンベを運んではくれないであろう。同じ自転車タクシーであっても、インドネシアで徒歩から自転車、その次に発展的に登場したタクシーと、日本で自動車から自転車に逆戻りして登場したタクシーとではその目的が大きく違うのである。だからこそ、観光用でない町中のベチャを、興味本位だけで乗ってしまうのはどうかと思う。本当に必要としている人たちから奪うようなかたちでならば、なおさら問題だ。
帰国者たちは今日も、駐在時代を思い返して現地に残した失敗や不名誉であった点を反省し、今後駐在される人たちへのよき相談役となれるよう自分なりにまとめるのであった。 |
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第71記 2006年6月1日
インドネシア中部ジャワ地震にはたいへん心が痛む。被災地からは少し離れているが、同じジャワに住むインドネシア人女性からメールが来た。「みなムラピ山の噴火を不安げに見守っていたが、しかし突然地面が怒りだしたのは、これも神様の力なんでしょうね」と。
私もインドネシア滞在中に数度地震を経験したが、今回の被害の甚大さは想像できないほどである。何が自分にできるかと問えば、信頼のおける筋を通しての寄付行為などであろうか。
その中で、発生直後に少し貢献できたかと思う出来事がひとつある。大手新聞社の社会部記者であるO君のことだ。彼は、地震発生の数時間後、私の携帯電話に電話してきた。小学校時代からの知り合いである彼には、借りもあったりで、その電話もつい「次いつ飲みに行こうか」そういう誘いの電話かと早合点した。
ところが、その日の彼の声はいつになく真剣である。「インドネシアで地震が起きた!」実は、彼が教えてくれるまで私は地震発生を全く知らなかった。「いまからすぐ現地に飛ぶので、知り合いを紹介してほしい」という依頼の電話であったのだ。
私はすぐに動いた。彼を通して、インドネシアのために何らかの役に立つものならと、すぐに動いた。なんとか、現地で世話になるあてはつき、そして彼は翌日予定していた子どもたちの運動会への参加も急遽キャンセル、翌朝早朝現地に飛んだ。
運動会で会った彼の奥さんの言葉が忘れられない。「夫は、いつも人が逃げてくる逆方向に行くんです。」帰国日も定かでないという。過去にも記者やカメラマンがいろいろな事件や事故に巻き込まれたニュースを見聞きしたが、彼の無事の帰国を信じている。
写真部など複数のメンバーを揃えて現地入りしたという。彼らは何か支援物資を持ち込んだのであろうか。一番に乗り込むことのできる、半ば特権を持つ報道関係者は、医療チームや自衛隊、各国や民間からの支援物資より先に現地入りしたであろう。何を持って行ったのか、気になるところである。そして自分自身が、そこに関わっておきながら、幾ばくかの支援金さえも彼に託すことができなかったことを悔やむ。
とにかく今は、インドネシアのために祈りたい。早い復旧を、そして心の痛みが深く残らないように。
帰国者たちは今日も、今の自分の環境と、それを構築してくれた過去に世話になった土地のことを常に思い浮かべ、どんな出来事が起きようとも確かな動きができるよう日頃の準備を怠らないのであった。 |
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第70記 2006年5月15日
私は帰国後、車での移動が多くなった。もちろん、駐在当時のようなお雇い運転手はいない。自分で運転する訳だ。日本を離れている間にドライブ環境で変化した点に、「道の駅」の存在がある。帰国して、知人から「道の駅で休憩できる」と聞き、「道の駅?何それ?」とその知人をいぶかったものだが、実は知らないのは私の方であった。海外在住の方々はご存知であろうか。93年から日本全国に作り始められた道の駅、今や「道の駅」は日本全国に830カ所もあるらしい。
道の駅は国土交通省道路局に対して登録された施設を指すとのこと。登録されるということは、反対に登録を抹消されることもあるのか?調べてみると、ありました、一カ所。
また、湖や川のそばには「水の駅」もある(こちらは運営母体が異なるようだが)。
ドライブ環境のもう一つの大きな変化に、ETCがある。これは説明不要であろう。料金所を停止せずに通過できるシステムである。スマートETCでは、サービスエリアからも出入りができて、非常に便利である。
ETCは体験してみて、その便利さに感動している。まず、窓を開けなくてよいので、暖房中は寒くならず、冷房中は暑くならない。窓の開閉も少ないので、窓の耐用年数も延びることだろう。なんといっても、トラブルがなければ、ゲートで停止せずに通過できるのは、燃費にも時間節約にも貢献度が高い。
しかし、である。それと引き換えに失ったものもある。料金所での会話がなくなったのだ。受け取りや支払いの際に、料金所のおじさんたちと「混んでますかねえ」とか「寒くなりましたねえ」「行ってらっしゃい!」と、そんなおしゃべりを以前はよくしたものである。ETCだらけでは「他人と交わす会話」が皆無なのである。コミュニケーションの機会が減るのは残念だ。特に料金所を出てどちらに曲がったら良いか、そんな時、料金所のおじさんは親切に教えてくれたものだ。ETCは教えてくれない。
インドネシアにETCのようなシステムが導入される予定は今のところ、ない。しかし、もし導入されたなら、別の影響が起こるであろう。レバラン前に料金所にたむろする警察官が行き場を失う。トラックが通過する際にトラック運転手から小遣いをせびるという収入源が絶たれる訳だから。
帰国者たちは今日も、文明の発展と人間らしい暮らしの狭間に振り回されながらも、便利と暖かみは相反するものとして、個人の賛成意見と反対意見はしっかり意識するのであった。
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第69記 2006年5月1日
鉄道で国内出張をした。とある駅での話しである。自動券売機にCARDという表示があったので、切符をクレジットカードで購入しようとした。まず最初に挿入口にクレジットカードを挿入すると、、、おや?いきなり、券売機が「使用中止」に!そのうえ、おまけにカード挿入口のシャッターが無情にも「ピシャッ」と閉まってしまうではないか!私のカードは吸い込まれてしまった!そうか、取り消しボタン、取り消しボタン、、おお、これこれ、取り消しボタンを押す!が、それでも変化なし、、、困った!
駅員さんを呼び出すと、怪訝な顔で「お客さん、何入れました?」と。クレジットカードです、と答えると、駅員さんはそのまま無言で券売機の裏側へ。ガタガタ、ギギギギ、という音が券売機の裏から聞こえる。何分くらい待ったであろうか、ようやく駅員さんが戻ってきて、「クレジットカードは使えませんからね」と念押しのように告げられた。「はい、すいませんでした」カード挿入口には「オレンジカード」の表記がある。この券売機はクレジットカード対応型ではなかったのだ。ガタガタ、ギギギギ、という音は私のカードを無理矢理引き抜く音だったようだ。
しかし、だ。券売機にはCARDという表示があるではないか!ローマ字表記で、CARD、と、しっかり。確かに日本語では「オレンジカード」と書かれているが、これでは日本語の読めない外国人は困るであろう。え?日本語表記をよく読まなかった私が問題?
帰国後、私は電車を乗る機会が多くなったのだが、いつも駅の改札での混雑を苦痛に感じていた。切符を買う人、改札を通る人、定期の人、駅員にたずねる人、特に自動改札で順番に並んで入ったはイイが、先頭の人の改札出口ゲートが閉じたときは、後続者みな詰まってしまってたいへんだ。そんなとき、自動改札をスルッと通過していく人たちを見た。非接触型カードを使っている人たちである。
駅の改札口を通るたびに、高速道路のETCのように、あの非接触型カードで改札をさっそうと通過していく人たちを見て「イイなあ」と思っていた。カードをすっと出してさっと触れて「ピッ」と鳴らせて抜けていく。カードを入れたり引き抜いたりする必要がないので、その差し込み口や排出口を見る必要もなく、前方を見て歩けるから、通過する動作は見た目もきれいである。モノに触れる部分が少ないので、衛生的でもある。そのカードが欲しかった。ずっと欲しかった。帰国して一年、ついに思い立って購入したのである、JRの非接触型カード!これでガタガタ、ギギギギ、という音ともおさばらだ。
ついに手にしたそのカードは、サイズはクレジットカードサイズだが、何層にもなっていて、ほんの少しクレジットカードより厚い感じがする。なかなか、重厚な感触だ。おまけにこのカード、購入に際し、デポジットが必要だなんて、なかなかブランドを感じさせるではないか。
そしてついに初めてそれを使うときが来た。できれば、あの満員状態の中、切符やプリペイドカードを出し入れして腰をかがめている人たちの横を「スーッ」と鼻高々に抜けて行きたかったが、そのときはちょうど、改札がガラ〜んとしていた。少しがっかりしていたのが理由か、なんと私は、自分が非接触型カードを持っているにもかかわらず、そのカードをカード挿入口に入れてしまったのである!あっと思ったときは、すでに遅し。そのカードの吸い込まれるのが速いこと。すぐに「キンコ〜ン!」の警報音と「このままでは通れません」という表示。駅員さんを呼んで、自動改札マシンのフタを開けて、カードを抜き取ってもらった。「すみません!」そうだった、これは非接触型である!そう意識し、と、同時に駅員さんには「隣の改札を使ってください」と。再度挑戦、隣の改札で、あーっ!しまった、またカードを挿入口に入れてしまった!これまで一年間、改札では切符やスルーカードは挿入するものだと体が覚えてしまっている!どうしてもカード挿入口を見てしまうのである!たいへんだ、何度も言うが、これは非接触型カード!「入れてはダメです!」駅員さんにも怒られる始末。ああ、すみません、すみません、だから、改札マシンのカード挿入口を見なければイイのだ。そうか、前方を見て改札を通り抜けるのだ!一気に!「ピッ」やったあ!成功!
こうして私の非接触型カード初体験は無事通過したのである。良かった、改札にほとんど人がいなくて。もしあれほど自分が希望していた満員の改札口であったなら、他人に見せびらかすことになっていた、この醜態を。。。
よくカードを見てみた。表も裏も。非接触型なんてどこにも書いてないぞ!
ところで日本のこの非接触型カードは自動改札機の入り口に、そのカードをそっと押し当てるわけだが、香港で見た非接触型の改札は、押し当てることも無く、かなり距離が離れていても通過できるタイプであった。そんなに感度が良いと、隣の改札を通る人のカードで「ピッ」と反応してしまわないか、心配したが、そうでもないようである。あれも日本のメーカーの技術らしいが、海外に渡ると、やはりお国ごとに仕様が異なるようである。
インドネシアでは、最近になって予定されていたMRT(地下鉄と高架鉄道の組み合わせ)計画の円借款が見送られた。2013年に完成を目指していたらしいが、これでその夢もまた遠のいたようである。
とにかくいろんなカードが増えた。駐在当時、ルピア札の入った財布はかなり分厚かった。帰国して日本円札に変わったあとも分厚い財布を持っているのは、実はカードが単に増加しているだけということに気づいたのである。
帰国者たちは今日も、カード社会に揉まれながらも、それでもカードを信頼し、カードに依存し、しかし過度にカードに振り回されないように自分の財布の中を再度見つめ直すのであった。
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