インドネシアジャカルタ最強駐在員・坂井師匠の体験エッセイ

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第93記 2007年6月1日

「他人と触れなければ自分を守れない。」人とどんどん接することで、自分という存在がより明確になり、人生においては生き甲斐を感じ、暮らしの中では自分自身のブランド価値が向上する、と私は思っている。
 
最近立て続けに2つの悲しいショックな出来事に出会った。1つは私の勤務場所のすぐ近くの交差点での出来事。それは互いに一方通行の幅約4mの細い道路が交差する地点で、私は徒歩で歩いていた。交差点に入りかけたとき、左からタクシーが進入して来たのが見えた。と同時に、前方から自転車に乗った人が一旦停止せずにかなりのスピードで交差点に入って来たのが見えた。と次の瞬間、なんとその2車両は出会い頭にガシャーン!ぶつかってしまったのである。幸い、自転車の男性は激しく転倒するまでに至らず、タクシーにぶつかってヨロッとしたものの怪我はしなかった。が、タクシーにぶつかり自転車は少し変形したようだった。タクシーにもやはり傷がついた。

それを見ていた私は、怪我はない、と安心しながら瞬間的に「タクシーと自転車、どちらが悪いか」と勝手な分析をしていた。瞬間的に、である。実は、その2者がどういう行動をとるかを好奇心で眺めていたのかもしれない。ショックを感じたのはその後である。
 
私は妙に期待していた。事故を起こしたのだから当然、自転車の男性にとっては一旦停止不十分で前方不注意のタクシー運転手側を非難するだろう、タクシーの運転手にとっては、猛スピードで停止せずに走って来た自転車側を非難するだろう、と。しかし、事実はかなり裏切られた。タクシーの運転手については運転席から降りて自転車側を気にかける様子でもなく、そして自転車の男性についてはタクシーの運転手を怒鳴りつける様子もない。両者無言でお互いに視線を配ることもなく、なんとそのまま通過して行ったのである。自転車の男性は、ぶつかって自転車が変形しながらも、自転車を起こして何もなかったかのように、そのまま進行方向へ走っていってしまった。続いてタクシーはやはりそのまま交差点を通過していった。皆さんはこの事実をどう思いますか。
 
どうして怒らないのだろう。どうして相手をにらむこともないのだろう。自分が痛い思いをしているのに、なぜ黙ってそのまま逃げて行くのだろう。
 
もう一つの出来事は電車のホームでのこと。私が乗車していた車両が、ホームに居た人にぶつかり、緊急停止した。音がしたので、腕かどこかが電車のボディーに当ったのだと思う。駅員は総出でそのぶつかったはずの人を捜したが、15分ほどかかっても結局探しきれなかったようで、電車は再発車した。どうもそのぶつかった人は、すぐにその場を走り去ったようである。きっと怪我をしているかもしれないのに。
 
どうして怒らないのだろう。どうして黙って逃げて行くのだろう。

自転車の男性も、ホームでの人も、その場に居るのが恥ずかしかったのであろうか。もっと大怪我をしていれば、怒鳴っていたのだろうか。私なら、自分が痛くなくても、たぶん相手を(怒鳴ることないだろうが、いや怒鳴るか)引き止め、なぜ事故につながったか、話をする行動をとるだろう。傷ついた車両の弁償についても話をしたい。そのまま逃げたのでは、問題解決に結びつかず、相手のタクシーは、あるいは相手の電車は、また同じことを繰り返すかもしれない、そう感じるのである。
 
人と接するのが恐いのか、自分一人良ければ良いのか。もっともっと、人間らしくお互い「ぶつかって」自分を守ってほしい、などと感じたのであった。インドネシアにいるとき、これと同じような光景は経験がなかった。むしろ、ちょっとしたことでも、すぐに人は他人と話をし、もめることはあっても逃げることは少なかったように思う。もし、人との接触が極端に減少し、言葉を発することも感情を表面に出すことも不得手になった人間は、それで社会の中でのコミュニケーション力が備わるのであろうか。それで、言葉の異なる世界の人との共同作業などがうまくいくのであろうか。自分の得意な点をアピールするにも、人との心の理解を深めるにも、どんどんいろんな人との「接触」を継続して行っていく必要があるのではないか。
 
帰国者たちは今日も、真の人間の付き合いを深く考え、どんなに情報と便利が発達しようと、人間同志の豊かな付き合いと自分という存在を明確にするためにどんどんコミュニティへの参加を試みるのであった。

第92記 2007年5月1日

インドネシア滞在の長い皆様は、いま日本で流行っているフィットネスマシンをご存知であろうか。通称「ブルブルマシン」などと呼び、起立した状態での両足の踏み台(ステップ)部分が上下に交互に動くマシンである。速度(強さ)が調節でき、膝を伸ばしたままだとお腹に、足を曲げて立つと足の筋肉に「トレーニングした後」のような効果と爽快感が得られるというもの。座ったり、寝ころんでブルブルかけてもよいそうだ。ダイエットマシンとして、街のあちこちで10分○百円!などと見かける。
 
ブルブル振動してマッサージ効果をうたっていたマシンと言えば、真っ先に思い浮かぶのが、ベルトマッサージャー。昔、よく温泉宿などあった、腰にベルトを引っ掛けてブルブル揺するあれである。モーターの力を借りて、あの単純な動作だけで体をブルブルさせる機能は、よく考えられたものだと思う。しかし、今や温泉宿でも旅館でも、あまり見なくなった気がする。
 
それに比べて、冒頭のブルブルマシンは、腰やお尻、背中や肩をベルトで揺するのではなく、人の体全体を揺する。人を乗せたその台ごとがブルブルするのだから、そのモーターの力も相当なものであろう。私もcoba(チョバ:試す)してみた。あ~気持ちイイ、終わった後は、お腹が腹筋運動した後の疲労感が残っている。継続すれば、効果はありそうだ。
 
これら健康器具の類いをちょっと振り返ってみる。記憶だけでたどれば、子供の頃見た、温泉宿のこのベルトマッサージャーに始まりハンディタイプの肩モミ機(これはモーターがよく焼けて臭かった)、銭湯に必ずと言っていいほど置いてあった椅子型あんま器(横にハンドルがついている)、そしてぶら下がり健康器、スタイリー、マッサージローラー、揺りっこ、腕やふくらはぎも包み込む高級椅子型マッサージ機、ジョーバ、そしてこのブルブルマシン。かなり商品名も出たが、こうして、家の中で扱える健康器具はどんどん進化し、人間ができなかった技をマシンに依存する機会が増えた。人間は不便を感じれば、それを便利にこなせるよう、いろいろな方法や道具を生み出してきたわけだが、こと健康に関して言えば、そもそもなぜマッサージする必要があるのか、という原点を考えてしまう。マッサージする必要のない体があれば、あるいはマッサージ不要ですむ暮らしぶりをしていれば、そんなものもともと必要ないとも思う。ちょっと乱暴な表現か。いや、やはり一番心配なのは、これらに依存しすぎたために、それがないと不健康になってしまうことだ。不健康とまで行かなくとも、これらがないと体調を崩してしまう人が大勢出てくる世の中にならないか、そんな心配をしてしまう。確かにこれらを開発する人たちは素晴らしいが、どうも世の中、人が人らしく生きるべき道から少しずつ離れて行っているように思える。太陽の下で、もっと人間らしく暮らしたい。「大自然」に依存する!そう言い張れるような。
 
そういえば、屋内で行える運動器具として流行ったマシンに「ルームランナー」があった。これに依存しすぎて屋外で走れなくなった人を見た、、、ことはないが。
 
帰国者たちは今日も、体と心の健康のためにいくつものテーマを掲げて実行を試みようとするものの、流行やあふれる情報に惑わされそうになるが、その時こそ滞在当時を思いだし本来の健康のために正しい判断をするのであった。
第91記 2007年4月1日

4月1日はエイプリルフールだ。この文化は数百年前のヨーロッパ発祥であるとか。そんなに古いのか。いま、インターネットが浸透し、高度情報化社会の現在では、この文化が時に大きな混乱を巻き起こすこともあろう。また、大量の情報が渦巻く世の中であるからこそ、いまあえてエイプリルフールを楽しもうという気は起きないのだが、みなさんはどうであろうか。正しいエイプリルフールの楽しみ方とはなんであろうか。井戸端会議などで、ちょっと冗談を知人に言ったことが、電子メールや電話などのツール無しに素早いスピードで巷に広まる、そういうエイプリルフールなら、楽しめるような気がする。
 
いずれにしても、嘘はいけない。イスラム教では、このエイプリルフールという行動を禁じられているそうだ。自分の駐在時代を思い起こすと、そういえば、4月1日にその手の冗談をインドネシア人から言われた記憶はない。多様性の国インドネシアは、複雑な社会構造のうえに多民族と他言語がある。そもそも存在する情報の精度が必ずしも高いとは限らない。「本当か、それ?」あえて冗談を言わなくても、毎週のようにエイプリルフールが訪れたと感じるときもあった。
 
情報の精度。これに関しては、インドネシアでは不利な点がある。まず、国土が広い。人口が多く、多くの島々に分散している。そしてその間の言語や文化、宗教にも違いがあり、ストレートに伝達することに困難がある。そして経済格差や教育格差による多重社会構造。暮らし方が違うということは、それぞれ別の世界のようなものであるから、情報の中枢も複数存在してもおかしくない。そのうえ言語も異なれば、情報が錯乱するのも簡単には避けられそうもない。
 
これらの条件を考えると、インドネシアに流れる情報は、これでもかなり高精度なのかもしれない、と思うのである。
 
インドネシア人が情報を伝えて行く中で、主観が入ることによりその精度を落として行くことはありそうである。これだけいろんな人がいるのだから。日本はどうか。単一民族、横並び、といわれる日本人は、得た情報をより正確に伝えようとするだろう、が、その途中途中で「ねじ曲げられる」ことが多いのは大問題である。昨今のねつ造や歪曲という社会問題に強く心を痛めている。
 
一度、インドネシア人チームと日本人チームに分かれ、伝言ゲームをやってみると面白い結果がみえそうだ。
 
帰国者たちは今日も、自分が情報発信者であり情報受信者であり、かつ情報中継者であることを改めて意識し、それぞれのあり方について考えるために、情報を入手するのであった。
第90記 2007年3月15日

日本では卒業式シーズン。雪が極めて少ないという今年の冬。この異常とも思える気候のもと、今年の桜の開花は早く咲くのか、長く咲くのか、キレイに咲くのか。しかし、いずれも桜の花は何週間ももたないで散ってしまう運命である。
 
インドネシアに暮らしていた頃、キレイな花、特に原色の濃い鮮やかな色の花が毎日のように視野に入っていたものだ。庭に出ても、町を歩いても。そう思うと、日本での花、特に桜はやはり短命なだけに「お花見」という発想が湧き出ることになる。毎日咲いていれば、別にあえて「お花見」と称することもない。
 
桜は誰がイタズラするわけでもなく、その美しい期間を過ぎると風に吹かれ自ずと散って行く。インドネシアでは、色も濃ければ、茎も葉も丈夫でそう簡単には散りそうにない花びらを持つ花が多かった。
 
しかし、ある日、アパートにある広い庭にいつもきれいに山ほど咲いていたはずのブーゲンビリアなどが、一斉に消えてしまっていることに気付いた。散ったのであろうか?いや、全ての花が一斉に散るとは思えない。虫に食われたか?いや、ならば食い散らした跡などがあってもよいはずだ。なぜだろう。
 
答えは人間の仕業であった。当時ジャカルタで私の住むアパートには、インド人が多く住み始め、そして多くがヒンズー教の彼らは、毎朝のお供えに花びらを摘むのであった。花びらだけを摘むので、残された植物は、いかにも花を咲かせるのを忘れた木々にも見える。そのとき私は、「別の宗教の人が茎や根からその花を欲したときに困るだろうなあ」と思った。が、それらの出来事は特に問題にならなかった。翌日には、また、しっかりと一面に花が咲いていたからである。ちょうどよい間引きにもなったのか、なんとなく以前よりキレイに咲いているようにも見えるから不思議だ。花が消えて寂しく思っていた、緑色の一面に、朝になるとドバーッと赤や黄色の花が広がっているのである。より美しく見えても当然であろう。しかし、花の力は強い。生命のすごさを感じる。失ったものを復活させるとき、それまで以上の力を発揮するのは、生命体のもつ情熱の一種なのかもしれない。
 
帰国者たちは今日も、どこに居ても何をしても、生きるための情熱は熱く持ち続けたいと、インドネシアと日本の花を眺めながら思いを馳せるのであった。
第89記 2007年3月1日

今年の日本の冬は降雪が異常に少なく、そして暖かい日も多い。昨年の冬は記録的な大雪、極寒、などと言われていたのがまるで逆転している。
 
私は昨年の冬が10数年ぶりの日本の冬であったが、帰国後その初めての冬が「極寒」そして2年目の冬が「超暖冬」の体験であった。両極端の状況に、体が異変を?と健康に心配していたが、どうにか今年も冬は乗り切れそうである。
 
1年目の冬は「冬とは寒い季節である。慣れていないから気を緩めてはならぬ」と冬の毎日を慎重に過ごした。インフルエンザ予防接種もした、車はスタッドレスタイヤを装着した。2年目の冬は「2年目の慣れには禁物だ」と、かまえていたが、思いもよらぬ暖冬で、確かに冬のわりには過ごしやすく、体は楽である。しかし、2年目も1年目同様、冬の装備をした。予想外の暖冬で、がっくり、いや、びっくりであったが、決して当てが外れたからと言っても、備えは必要であろう。

ところで、このスタッドレスタイヤ、日本のメーカーの技術は素晴らしいらしく、天然ゴムの原産地であるインドネシアのタイヤメーカーも歯が立たないようだ。当たり前か、インドネシアに雪は降らんか。

ゴムはインドネシアでの農業の中でも、米やパーム油と並んで大きな産出を誇る主要な品目。日本へも大量に輸出される、その生産規模はタイ、インドに告ぐ世界3位とのこと。それほど大きな天然ゴム生産国のインドネシアだが、、、輪ゴムの品質は悪かった。
 
駐在員時代、私はモノづくりをして日本などへ輸出する仕事に従事していた。そして出荷する製品を束ねるために「輪ゴム」を使っていた。「輪ゴムなんてどれも同じだろう」とんでもない、全部違うのである。大きさが?当然。それだけでない、色も形も太さも違うのである!最初は驚いた。大きさが異なれば、同じ製品を束ねていく作業を標準化できない。太さが異なれば、輪ゴムをかけるのに時間が一定でなかったり、あるいは途中でパチンと切れてしまうものも出てくる。色が異なれば、製品に付着してしまうこともある。そしてどうにか製品を束ねて日本へ船で出荷したとする、、、すると数週間後に日本に到着した製品を見てまたビックリ。輪ゴムが全部溶けて製品にビシャーっと張り付いているのだ。これは生ゴムか?製品と一体化してしまっている。
 
さすがにこれでは使えない、と、結局輪ゴムを日本から輸入することに!ゴムの国インドネシアどうした!そして、輪ゴムの輸入が少々遅れたこともあったが、ゴム時間のインドネシアでは、「Tidak apa apa(ティダッ アパ アパ)!:大丈夫大丈夫!」で終わってしまうことも少なくなかった。
 
インドネシアでは本当にいくつもの種類の「ゴム」を生産しているのであると気付くのである。
 
後日談があり、その日本から輸入した輪ゴムをサンプルにして地元メーカーに製造依頼したところ、しっかり同じ品質の輪ゴムを作って、供給してくれるようになったのだった。素晴らしい、ゴムの国、インドネシア。
 
帰国者たちは今日も、目的に応じて高いものと安いものを使い分ける技法を学びつつ、その国の資源とはその国の国民性をも影響させる源なのだと痛感するのであった。


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