編集長ハルがジャカルタへやってきた当時(1990年頃)、本格的な寿司屋は数件しかなくて、邦人のほとんどが「鮨といえば『鮨清』かなあ?」と答えたぐらい、鮨清は老舗である。
その頃は、スディルマンの玄関であるラトゥープラザで営業しており、その頃のラトゥープラザといえば、本当にしょぼいビルで、噂を聞いてやってきたものの、本当にこんなしょぼいビルに本格的な寿司屋があるのだろうかと、おそるおそる行ってみたのが最初であった。
まだそんなに大きな店ではなく、カウンターで日本人の板さんの四方山話を聞きながら、美味しい寿司をつまんだものだった。
そして十年、二十年と経て、現在鮨清はジャカルタ屈指のショッピングモール・プラザスナヤンにて、非常に多くのローカル富裕層で賑わう店となった。
数十年前日本人から「寿司といえば『鮨清』かな」と言われたが、現在ではローカル富裕層から「寿司といえば『鮨清』かな」と言われるほどだ。
インドネシアのテレビ局で取材されることも雑誌に取り上げられることもしょっちゅう。まさしくインドネシア和食業界を代表する老舗になっている。
ハルの常々思っていることは―どんな世界でも十年続けば本物―である。少なくとも鮨清は30年以上の歴史があり、また鮨清から巣立っていった板さんや、レストラン関係者も数多くジャカルタで活躍しており、鮨清の歴史=ジャカルタのレストラン史といっても大袈裟ではない。
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